開山 妙了院日達禅尼が「大黒尊天」を御本尊として法華経読誦する庵をむすび、堂宇建立の大誓願を立て諸国を勧進行脚中、甲州身延で無住寺の見照山實相寺を見つける。身延山久遠寺参拝の折、第二十五世 妙寂院日深法主に拝領を懇願しその願いが叶い、備後吉津郷に寺号を持ち帰り、寛永十(1633)年堂宇を建立する。
その後、身延山より学禅院日逢上人を二世に迎え寺門興隆を図る。

 現在の本堂は水野家下屋敷を改築したもので、福山二代藩主 水野勝俊公菩提寺 長久山妙政寺の旧本堂で、棟札によると慶安五(1652)年の創建である。水野家断絶後は家老上田玄蕃実権のもと、次兄上田勘解由直定が實相寺を菩提寺とするにあたり、この本堂を寛文六(1666)年いまの地に移築する。なお、上田勘解由直定は實相寺開基檀越である。

 元文元(1736)年二月、檀越大阪屋三右ヱ門(河合姓)〈福山城内御用商人〉の丹精により、京都法鏡院門跡を通じて中御門天皇より祈願所門札十六弁表菊紋、紫衣菊紋袈裟の使用を允許され、「法鏡山」額字(本堂正面現存)、「七面大明神」御筆を下賜される。

 寛延元(1748)年には大阪屋三右ヱ門の弟が身延山坊の弟子となり、三百日の修行成満により、久遠寺第三十六世 六牙院日潮法主より一木三体「七面大明神」のうち一体を拝受す。
この七面大明神は霊験顕著で明和八(1771)年福山領内大旱魃の折、降雨祈願をなし大願成就の証として灯籠一対(現存)が寄進されている。また、天明二(1782)年には備前笠岡新涯堤防を築造するも、再度決壊、工事が難航きわまるにあたり、“水”に縁深き當山「七面大明神」に無事完成を祈願し、大願成就の証として石鳥居一基を寄進されている。
 


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